道北・宗谷本線の旅について、わかりやすく解説してゆきます!
幌延・天塩地方の地理・歴史などを、やさしく解説してゆきます!
サロベツ原生花園と北緯45度、そしてトナカイがいる町・幌延町
やがて、幌延駅(北海道天塩郡幌延町)に到着します。

幌延駅(北海道天塩郡幌延町)
幌延町は、トナカイが飼育され、北緯45度線が通る町でもあります。
幌延駅からは、かつて西海岸の羽幌方面に向かう列車・羽幌線も出ていました。

幌延駅(北海道天塩郡幌延町)

幌延駅(北海道天塩郡幌延町)

幌延駅(北海道天塩郡幌延町)
核の最終処分場と「幌延問題」
幌延町には、核の最終処分場を誘致することによって生じた「幌延問題」というものがあります。
原子力発電などにおいて、核を燃料とするときに、どうしても「廃棄物」というものが出てしまいます。
原子力発電は、火力発電よりも大きなパワーで発電が出来る、というメリットがあります。
しかし、その一方で副産物として、放射性物質の(有害な)廃棄物まで出てしまうというデメリットもあるのです。
その放射性物質の廃棄場所をどこにするかで、日本政府は常にその場所・自治体(市町村)を探している、という状態なのです。
かつてそれに対して幌延町が手を上げて、最終処分場の誘致計画をしたのでした。
しかし、このことがいわゆる「幌延問題」のはじまりとなったのでした。
もしそれに協力した場合、
- 数億円もの協力金が、政府から支給されること
- 処理施設を建設・維持をしていくための、事業・雇用が生まれること
- さらに、処理施設で働く職員の雇用が生まれること
などといったメリットがあるわけです。
もちろんそこだけを取ってみれば、確かに町にとっては施設を作るメリットもあるわけです。
しかし、ご存じの通り、核の放射性物質には、健康に被害をもたらすリスクがあるわけです。
そのため、関係ない町民にとっては、不安でしかないわけです。
そのため、反対運動が激化したりして、町に混乱が生じることにもつながります。
つまり、核の最終処分場の誘致には、基本的にはどこの町民も嫌がることになるわけです。
例えば、放射性物質を地下に埋めるにしても、溢れてきた放射能が人体にどんな影響があるのか、気にする人は多いでしょう。
したがって、たとえどれだけ国から
- 「科学的には人体に影響ないと、実験で既に証明されていますから、どうぞ皆さん安心してください!」
などのように説明されたとしても、それでもやっぱり
- 「万が一、放射性物質が流出したらどうなるのか」
というふうに、町民の気持ちとしては、決して不安が消えることはないでしょう。
特に北海道は「食の宝庫」であり、幌延町の周囲には酪農を行うための牧場もたくさんあります。
また、核の廃棄物は再利用できるわけでもなく、土に帰る(地球に帰って、新たな資源として生まれ変わる)ということもありません。
つまり、
- 本当にただ有害かもしれない物質を、自分達が住んで食事をして寝るための町に、あえて置いて埋めておくこと
に、やはり抵抗感を示す住民が多いことは仕方ないでしょう。
しかしそれでは、国としても(捨てる場所が無くて)困るわけです。
国は、核の最終処分場を誘致してくれる自治体(市町村など)を、常に探している状態であるというわけです。
やはり住民の理解を得るために、国がしっかりと安全性とそのメリットを説明することが、何よりも重要となってくるでしょう。
あなたは、こうした複雑な核の最終処分場問題について、どう考えるでしょうか。
天塩郡と、その歴史
幌延町や
- 遠別町
- 天塩町
- 豊富町
が属する地域は、天塩郡という郡でまとめられています。
遠別町は、西側の日本海側の町であり、稲作の北限の町と言われています。
お米・稲は寒さに弱く、昔は北海道では育たなかったため、アイヌ民族は稲作はせずに、
- 魚釣りをしたり、
- アザラシやクマ等を捕まえたりして、
食べたりするという生活を行っていたのでした。
なのでアイヌ民族は、米を食べるために、本州からの輸入(?)に頼っていました。
そのため、
- 江戸時代には、後述する松前藩からお米を買い(売ってもらい)、
- その代わり、先述の魚や毛皮などを、松前藩に支払う
という形で、お米をゲットしていたのでした。
もちろん、
- アイヌ民族が差し出す物の量
よりも、
- アイヌ民族がもらえるお米等
の方が少なく、アイヌ民族にとっては不利な交易だったのでした。
そのため、江戸時代には「シャクシャインの戦い」などの反乱が頻発したのです。
シャクシャインの戦いについては、以下の記事でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
話を元に戻します。
長い間、寒い北海道では育たなかった稲でしたが、時代とともに稲は品種改良が進み、寒さに耐えられるようになってきたのでした。
そのため、現在では北海道の多くの地域でも稲作が行われています。
その稲作の北の限界地域が、遠別町というわけです。
遠別町よりも北の地域で稲作を行うのはさすがに厳しい、というわけですね。
天塩地域は、江戸時代には松前藩によって「テシホ場所」という商売の拠点が開かれていました。
松前藩とは、函館の南西にある松前町を拠点としていた、江戸時代の藩です。
「場所」とは、松前藩とアイヌ民族が、物々交換(交易)、つまり現在でいう輸入・輸出を行うための場所です。
その松前藩とアイヌ民族は、本州と物々交換をやっていたのですが、「場所」はその拠点でした。
以下が、その物々交換(交易)を行っていた品物です。
- 松前藩:本州でしか採れないお米や、アイヌ民族にとっては貴重な食器など
- アイヌ民族:北海道でしか採れないおいしい魚や、防寒のために重宝した「毛皮」など
を、それぞれ物々交換(交易)してきたのでした。
もちろん松前藩に差し出す量よりも、アイヌ民族がもらえる量の方が少なかったのでした。
そのため、この不公平が先述の「シャクシャインの戦い」などに代表される、アイヌ民族の反乱につながる要因となりました。
江戸時代後期になると、いわゆる「南下政策」を強力に進めるロシアの脅威に、日本国内では怯えていました。
南下政策とは、ロシアが「凍らない港(不凍港)」を求めて南の暖かい地域に進出してくることです。
ロシアは冬は-20度くらいは普通にいく極寒の地域であり、港の海の水は凍ってしまい、軍艦も船も何も動かすことができません。
そのため、ロシアとしては困るので、南の暖かい地域にどんどん進出してきていいました。
北海道(蝦夷地)はまさにそのターゲットになりかねなかったので、ロシアに近い天塩地域の防衛は、江戸幕府にとっては(明治政府にとっても)重要だったのです。
こうしたロシアの南下政策に備えて、江戸時代後期には天塩郡の地域は「天領」となりました。
天領とは、江戸幕府が直接支配する地域のことです。
つまり「藩」による支配ではない(藩に統治を任せず、江戸幕府が直接統治する)ということです。
では、なぜ天塩郡を幕府の「天領」としたのか。
それは幕府が直接管理した方が都合がよいからです。
もし仮に「天塩藩」などを作らせたら、江戸からあまりに遠すぎる地域なので(「外様」というレベルじゃない)、もし力や財力を蓄えられて軍事的に反乱などを起こされたら大変ですよね。
江戸から遠く離れた地域は外国にも近く、下手をすれば外国から武器を勝手に購入して、その上で外国と結託して江戸幕府に謀反・反乱を仕掛ける恐れもあったのでした。
そのため、幕府からの信用がありませんでした(実際に幕末にそれをやったのが、薩長同盟をはじめとする藩です)。
例えば鹿児島県にあった薩摩藩も、琉球王国(現在の日本・沖縄県)に近く、琉球との貿易で儲けておりかなり財力があり、それが幕府にとっては脅威だったのでした。
そのため、膨大な旅費や人件費のかかる「参勤交代」などでわざと徹底的に幕府から財力を削がれていたのでした。
話がズレましたが、このようにして、江戸幕府は北海道北部の防衛を、徹底的に固めていったのでした。
サロベツ原生花園
幌別町と豊富町からさらに西へは、「サロベツ原生花園」というものがあります。
原生花園とは、「手付かずの花園」「地球が誕生した時のままの花園」という意味になります。
基本的には、花園といえば誰かが人為的に植えたり、人間の手が入っていたりするものです。
綺麗な状態を保ったり、植物が健康な状態を保ったりするためですね。
しかし北海道には、ほとんど人の手が入っていない、手付かずの原野が多く残っています。
自然の美しさのまま育っているため、本州ではみられないような独特の美しさを放っているのです。
北海道のはずれには、こうした 「人類開始以降、人間の手が加えられていない、地球が誕生したときのままの林」が広がっているわけです。
オロロンライン 北海道の旅人たち
また、西海岸にはオロロンラインという道路も広がり、はるか遠くに利尻島・利尻富士が眺められます。
北海道ではバイクや車などを駆使して、格安で旅をする人も多いのですね。
近年ではそうして北海道を旅するYouTuberも多く登場してきています。
いわゆる「車中泊」だったり、ライダーハウスに泊まるなどして、経費を削減しているわけです。
ライダーハウスとは、バイク旅の人々(ライダー)に向けた簡易・格安宿泊施設です。
一泊無料~2,000円程度とかなりの格安で泊まれるのですが、他のライダー(客)との集団生活になるので、それなりのコミュニケーションが苦手な人には合わない施設かもしれないので、留意しなければなりません。
逆に、他人とワイワイするのが好きな人には、ピッタリの宿泊施設といえるでしょう。
次は、抜海・稚内方面へ
次は、いよいよ稚内市に入ってゆきます。
2025年3月をもって残念ながら廃止が決定してしまった、日本最北の秘境駅・木造駅・無人駅の
- 抜海駅(北海道稚内市)
にも近づきます。
今回はここまでです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
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